2006年12月
2006年12月25日
父親のためのクリスマス
クリスマスが来ると「いよいよ今年も終わり」感がして来ます。子どもがまだ小さい頃、深夜眠っている子どもの枕元にプレゼントを置き、朝目が覚めた子どもが布団の中でキョロキョロしている様子を見るのが楽しくて、「今年も子ども騙し成功!」と何故か達成感を味わったものです。残念ながら上の男の子は中学半ばで親の遊びに付き合ってくれなくなりましたが、下の高1の女の子は今でも父親のサンタゲームに付き合ってくれます。やはり小学高学年の頃、サンタの存在に疑念を持ったようで、サンタがどこから家の中に入って来たかをしつこく調べようとしたりして、状況が完全に分かってからは、今度はサンタ宛に自分から積極的に手紙を書くようになりました。欲しいプレゼントを書いた封をしない手紙を父親の私に渡して、サンタに送ってくれというわけです。さすがに二番目の子ども、ちゃっかりしています。「せめてサンタの住む国の名前ぐらい書かなくっちゃ」とアドバイスすると、それからは封筒に『ノルウェー サンタクロース様』と書くようになりました。今年は中々書かないので、私の方が焦れて来て、「早く出さないと間に合わないよ」と催促する始末。「1週間もあれば大丈夫でしょう」と、完全に私の方がコントロールされています。そんな訳で今年もなんとか間に合いました。
めでたし、めでたし。
2006年12月18日
年末の第九演奏会
今年もなんとか年末の風物詩「べートーヴェンの第九」に参加することができました。やはりオーケストラと合唱が一体となったハーモニーは感動モノです。初めて「第九」の合唱に参加した高齢のご夫人方が演奏を終わって、友だちと手を取り合って「感動したあ〜!これでもう思い残すことはないわ」と満面の笑顔で喜んでおられる姿を目にすると、自分の喜びも一段と増して行きます。正に「歓喜の歌」、一年の締めくくりにはぴったりの曲だと思います。ただし歌うだけなら話は簡単ですが、なにせ今回も主催スタッフの一人として、合唱団員集めから練習会場準備、本番が近づくとチケット売りから広報PR、本番当日はオケその他出演者のお世話、本番が終われば今度はステージひな壇の片付け等々、少数精鋭?のスタッフでの取り組み、途中で逃げ出したくなる程のプレッシャーを感じていました。「なぜそんな事やってんの?」と訊かれることもありますが、正直言って自分でもよくは分かりません。歌った仲間、主催スタッフの仲間、そして十数年も親交が続く鎌倉の仲間たちを含め多くの人たちと演奏会を通して「感動が共有できる」からだと思います。演奏会が無事終わったときの爽快感、達成感は言葉では言い表わせません。前職時代に経験した「辛い選挙」で勝ったときの感動や達成感ともちょっと違います。勝ち負けを超えた「みんなで共有する感動」、WIN-WINに少し似てるかな?「来年も感動するぞ〜!」。
2006年12月11日
心理学の時
この絵をご覧になったことがありますか?「ルビンの盃」と呼ばれる絵で心理学関係のテキストには必ず出てくる図柄です。何に見えますか?白い部分に注目すると「カップのような盃」に見えますし、黒い部分に注目すると「人間が向き合って鼻がくっつきそう」に見えませんか。しかし、普通の人は同時にこの「カップのような盃」と「向き合った人間の顔」を見ることはできません。即ち「人が一つの部分(図)に注目するとき、他の部分は背景(地)となって見えなくなってしまう」。ゲシュタルト心理学の基本的な考えの一つだそうです。通常は、意識的にどこに注意を向けるかによって「図」と「地」の反転を知覚することができますが、中には図の知覚ができなかったり、反転ができなかったりする人もいます。人間の知覚・認知能力 、微妙ですね。誰だか忘れましたが超有名な経営者の方で、「20世紀は経済学の時代だったが、21世紀は心理学の時代だ」と言った人がいますよね。「ルビンの盃」ももしかすると脚光を浴びることになるのでしょうか?
2006年12月04日
鳥の眼と虫の眼
時々落ち込んだときに相談にお伺いする、私が勝手にメンターと仰ぐK氏から以前アドバイスを戴いた。「物事を見る場合は鳥の眼と虫の眼の両方が要る。文章を書く場合は鳥の眼で全体を俯瞰した上で、そして虫の眼で焦点を合わせる。そうすれば良い文章が書ける」と。初めて聞いた「鳥の眼と虫の眼」の話で、とても印象深かかったので、今でもこうやって毎週駄文を書きながらその話を思い浮かべる。しかし、なかなか実践できない。この「鳥の眼と虫の眼」の話に似た話で剣豪宮本武蔵の逸話がある。武蔵がまだ若い頃、当時有名な剣術家の柳生石舟斎と戦った際、石舟斎は素手でありながら武蔵の打ち込む剣をいとも簡単に払いのけ、武蔵は手も足も出なかった。そんな武蔵に向かって「今お前には鳥の声、風の音が聞こえたか?聞こえていないだろう。どんな時にも鳥の声、風の音が聞こえるようでないと私に勝つことはできないよ」と言ったという話。それ以後武蔵は精進を重ね、この柳生石舟斎の境地に達したそうである。即ち「どんなに目の前の事に囚われていても、周囲の状況に常に耳を澄ます」。さすがに宮本武蔵の境地には届くはずも無いが、せめて「鳥の眼で俯瞰し、虫の眼で焦点を合わす」ことぐらいは欠かさず実践しなければといつも反省している。