2007年06月
2007年06月25日
地方の金融機関の行く末
かつて私が勤務した地元の金融機関で「メンタルヘルス・マネジメント」のセミナー講師をやらせて貰った。管理職以上約50名の職員を対象にしたセミナーで持ち時間は3時間。昔の職場の仲間が受講者だから相手の顔と名前がほぼ分かるという安心感もあった。思えば
16年前、私が35歳の時に退職した職場である。退職の日、それぞれの部署の仲間に挨拶をして回るとき、「13年間苦楽を共にした仲間ともう二度と一緒に仕事ができないのか」と別れる辛さで涙があふれたことを覚えている。セミナー当日は16年ぶりに古巣に戻ったような感じがしたが、しかしこの16年間で金融機関を取り巻く環境は様変わりしている。特に監督官庁の規制は非常に厳しくなって、職員の大半は監督官庁への報告類作成で多忙を極めている。そして「とにかく不良債権を出すな」が職員の合言葉のようにもなっているようだ。地元の小規模の金融機関もメガバンクも金融業を営む上での条件は一緒だからというのが監督官庁の考え方らしい。どんどん人が集まる景気の良い都市部と、どんどん人が減っていく景気の悪い山陰の片田舎。果たして同じ物差しで計れるのか?営業テリトリー等多くの規制を受けた効率の悪い地域限定の金融機関は嫌でも合併を選択せざるを得ない。郵政民営化や市町村合併に通じる効率化だけの発想ではないか。それで地方の田舎の住民サービスが維持できるのか大いに疑問。何はともあれ一度退職した人間に職場の大切な研修を任せて貰ったことは本当に嬉しかったし、同じ土地で生きていく仲間の有り難味も再認識できた。
2007年06月18日
役所の業務上横領と背任罪
行政の「裏金」問題でいつも不思議に思う。それは「お役所のお金を私的に遣う」ということなのに、何故刑法でいう「業務上横領罪」(刑法第253条:業務上自己の占有する他人の物を横領した者は、十年以下の懲役に処する。)にならないのかということ。民間では確実に「横領罪」。私の勉強不足かも知れないが、公務員の場合はお役所で管理するお金はそもそも「他人の物」でなく、「自分達の物」という認識なのか。そしてもう一つ刑法には背任罪というのがある。刑法第247条「他人のためにその事務を処理する者が、自己若しくは第三者の利益を図り又は本人に損害を加える目的で、その任務に背く行為をし、本人に財産上の損害を加えたときは、五年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。」色んな施設や外郭団体を作って天下りして、膨大な赤字を出して、最後は国民の税金で補填する。正に国民に対する背任罪を構成する可能性がある。常識を超えた年金記録不明問題もお役所の不思議な世界の元々の体質?そして今連日報道されている「コムスン」問題。この業界には同じような違法案件は無数にあるのだろうが、ただコムスンだけを叩けば解決する問題でもない。本来高齢者福祉・介護の事業は国が責任を持ってやるべきものと思うが、それを認可事業として民間にやらせている訳で、認可された民間は勿論慈善事業では無く、収益を上げることを目的にするのは当然。今回のコムスン問題で国の高齢者対策の矛盾と問題点がまた浮き彫りなったと言えないだろうか。誰に責任があるのか?
2007年06月11日
民は生かさず殺さず
なんと言っても社会保険庁の年金記録不明問題は大きい。政争の具にするなと言っても、そんな訳には行かない。参院選も近づいて来て、与野党の攻防も激しくなって来た。やはり分が悪いのは政府・与党。これから投票日迄にどれだけ有権者の怒りが充満してくるか、それとも公務員改革法等を通じて政権の支持率が上がってくるか、7月の投票日が待ち遠しい。しかし結果はどうあれ税金や保険料の使途管理の仕組みが少しでも良い方向に進んで欲しい。江戸時代の話しになるが、幕府創設以来お百姓さんの年貢は四公六民であったが、吉宗の享保の改革の頃に五公五民に増税されたため各地で一揆が多発したり、人口の伸びが落ちたという話を何かで読んだ。今の世で言えば差し詰め年金保険料等を含む租税等の負担割合が所得の4割か5割ということになるのだろうか。一揆は無いが出生率低下は今の日本にも似ている。また江戸時代の治世の教えで「民は生かさず、殺さず」という教えがあったそうだ。まさか今の平成の世で通用する訳は無かろうが、しかしこの負担割合が5割の比率に近づいているのは間違いない。今は社保庁だけが槍玉にあがっているが、各県の裏金問題を始め、大半のお役所が国民の税金等をいとも簡単に私物化したり、無駄遣いしたりで、その実態は膨大な金額になるだろう。国から地方までお役所天国の日本、このままで良い訳はないが、じゃあどうしたら良いのか。自民も民主も説得力のある具体的な改革案で勝負し、平成の世直しを是非実現して欲しい。
2007年06月04日
年金不明問題の責任
先週久し振りに東京へ出かけた。電車に乗っても街を歩いても目に入ってくるのは若者、地元と違ってあまりお年寄りの姿は見かけない。ちょうど松岡農水大臣自殺の記事が新聞一面に掲載された当日だったが、特に世情に影響が出た様子もない。いつものような東京の風景、みんな淡々と自分の生活をこなしている風である。現職大臣の自殺という非常にショッキングな事件ではあるが、この事件の重さをどれだけ世直しに生かすことができるだろうか。そしてもう一つの大きな世直しの問題は年金の問題だろう。先日から世の中を騒がせている「5千万件不明問題」、これは単に社保庁組織のあり方についての問題であるが、実は年金についてはそれよりもっと深刻な問題を抱えている。かつて小泉前総理が「民間でできることは民間に」と郵政民営化を命懸け?で敢行、しかし国の行く末を真剣に考えるなら真っ先に民営化すべきだったのは公的年金の筈であった。しかしいまだに社保庁職員を民間にという議論は出ても、預かった積立金を含め一切を民間にという議論は一向に出てこない。信じがたい話だが、ある試算によると移管するためには現在の積立金では800兆円も不足するらしい、だから民営化したくてもできない道理とのこと(詳細は野口悠紀雄著「日本経済は本当に復活したのか」)。かつて保険料の積立金は旧大蔵省の資金運用部に預けられていた。こんな腰を抜かすような数字を生んだ責任は一体誰にあるのか?それこそ「5千万件不明」どころか国の土台を揺るがす程大きな「責任問題」になる。こうなるともはや「格差問題」も影が薄くなる?