2019年05月
2019年05月25日
高齢者運転免許
半年余り前から、両足の股関節が時々痛むので、現在2週間ごとに整形外科医院で治療している。
以前から胡坐をかくと痛んでいたのだが、日課のウォーキングの後にも痛むようになり、仕方なく病院に行った。
最初は痛み止めの注射で一時的に治まっていたが、それもしばらくすると効かなくなった。
検査の結果、普通の炎症とは違い、リウマチ性多発筋痛症という物々しい名前がつけられた。
痛みの原因は、歩き過ぎとか立ちっ放しとかで股関節に負担を掛けること。
胡坐をかくとてきめんに痛くなる。
そして残念なことに、この症状は60歳以上のご高齢に多いらしく、元々の原因も特定が難しいようだ。
まあ、私も年齢相応になったと自分を納得させるしかないのだろう。
さて先日来、高齢者の運転操作ミスによる痛ましい事故が続き、高齢者の運転免許返納を促す声が大きくなった。
しかし、公共交通機関の充実した都市部とバスも走らない地方の中山間地の住民では、まるで条件が異なり、一律に否定的な結論を出すのもどうかと思う。
ちなみに65歳以上の高齢者は、日本全体でおよそ3515万人(29年10月1日)。
このうち80代以上が1074万人と高齢者全体の3人に1人を占める。あるいは70歳以上の高齢者が、総人口の2割、即ち5人に1人が70歳を超えているのが日本の実状だ。
要するに、この自動車運転免許の問題は、免許制度の趣旨から言えば、やはり個々人の身体機能の判定によるのが一番合理的ではあるが、地方の田舎住民にとっては、車なしで「健康で文化的な生活」が送れるか否かも考慮すべき。
益々高齢化が進む日本、社会の仕組みが、このままで良いはずがない。
まんわ経営労務ホームページ
https://www.manwa55.net/
以前から胡坐をかくと痛んでいたのだが、日課のウォーキングの後にも痛むようになり、仕方なく病院に行った。
最初は痛み止めの注射で一時的に治まっていたが、それもしばらくすると効かなくなった。
検査の結果、普通の炎症とは違い、リウマチ性多発筋痛症という物々しい名前がつけられた。
痛みの原因は、歩き過ぎとか立ちっ放しとかで股関節に負担を掛けること。
胡坐をかくとてきめんに痛くなる。
そして残念なことに、この症状は60歳以上のご高齢に多いらしく、元々の原因も特定が難しいようだ。
まあ、私も年齢相応になったと自分を納得させるしかないのだろう。
さて先日来、高齢者の運転操作ミスによる痛ましい事故が続き、高齢者の運転免許返納を促す声が大きくなった。
しかし、公共交通機関の充実した都市部とバスも走らない地方の中山間地の住民では、まるで条件が異なり、一律に否定的な結論を出すのもどうかと思う。
ちなみに65歳以上の高齢者は、日本全体でおよそ3515万人(29年10月1日)。
このうち80代以上が1074万人と高齢者全体の3人に1人を占める。あるいは70歳以上の高齢者が、総人口の2割、即ち5人に1人が70歳を超えているのが日本の実状だ。
要するに、この自動車運転免許の問題は、免許制度の趣旨から言えば、やはり個々人の身体機能の判定によるのが一番合理的ではあるが、地方の田舎住民にとっては、車なしで「健康で文化的な生活」が送れるか否かも考慮すべき。
益々高齢化が進む日本、社会の仕組みが、このままで良いはずがない。
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2019年05月18日
中村天風
中村天風という名前を聞かれたことがございますか。
どんな人物か簡単に略歴を記すと、
1904年(明治37年)、日露戦争の軍事探偵として満州で活躍。
帰国後、当時死病であった肺結核を発病したことから人生を深く考え、真理を求めて欧米を遍歴する。
その帰路、ヒマラヤの麓でインドのヨガの聖者カリアッパ師の指導を受け、心と身体の健康法を身につける。
帰国後、1919年(大正8年)に、心身統一法として心と身体の真の健康について講演活動を始め、東郷平八郎、尾崎行雄、後藤新平、松下幸之助、稲盛和夫などから支持を受け、天風哲学として世間に認められるようになった。
1968年(昭和43年)12月1日逝去、享年92歳
(以上、中村天風「心が強くなる言葉」より)。
こんな経歴の中村天風先生、その言葉の一つ一つに味わいがある。
特に自分の気持ちが消極的になったときに何度も聞きたくなる言葉だ。
以下、少し紹介させて頂く。
「どうせ明日の朝、死ぬんなら、ビクビク生きているよりは、生きている間は楽しく生きていこうという気持ちになったほうが、どうも得のようだ。」
「できるだけ積極的な人と交わりなさい。」
「いいかい、もうどんなことがあったって、現在感謝。」
「右見れば繚乱たる花園があり、左見れば墓場や死骸がごろごろ転がっている。左ばかり向いていて、なんてこの世は残酷なんだと考えている奴があったら、その人間をほめるかい。」
「四十や五十はもちろん、七十、八十になっても情熱を燃やさなきゃ。明日死を迎えるとしても、今日から幸福になって遅くないのです。」
要するに「積極的精神」を極めるのが天風哲学の醍醐味。
弱気に効果大。
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どんな人物か簡単に略歴を記すと、
1904年(明治37年)、日露戦争の軍事探偵として満州で活躍。
帰国後、当時死病であった肺結核を発病したことから人生を深く考え、真理を求めて欧米を遍歴する。
その帰路、ヒマラヤの麓でインドのヨガの聖者カリアッパ師の指導を受け、心と身体の健康法を身につける。
帰国後、1919年(大正8年)に、心身統一法として心と身体の真の健康について講演活動を始め、東郷平八郎、尾崎行雄、後藤新平、松下幸之助、稲盛和夫などから支持を受け、天風哲学として世間に認められるようになった。
1968年(昭和43年)12月1日逝去、享年92歳
(以上、中村天風「心が強くなる言葉」より)。
こんな経歴の中村天風先生、その言葉の一つ一つに味わいがある。
特に自分の気持ちが消極的になったときに何度も聞きたくなる言葉だ。
以下、少し紹介させて頂く。
「どうせ明日の朝、死ぬんなら、ビクビク生きているよりは、生きている間は楽しく生きていこうという気持ちになったほうが、どうも得のようだ。」
「できるだけ積極的な人と交わりなさい。」
「いいかい、もうどんなことがあったって、現在感謝。」
「右見れば繚乱たる花園があり、左見れば墓場や死骸がごろごろ転がっている。左ばかり向いていて、なんてこの世は残酷なんだと考えている奴があったら、その人間をほめるかい。」
「四十や五十はもちろん、七十、八十になっても情熱を燃やさなきゃ。明日死を迎えるとしても、今日から幸福になって遅くないのです。」
要するに「積極的精神」を極めるのが天風哲学の醍醐味。
弱気に効果大。
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2019年05月11日
10連休
ようやく10日間の連休が終わった。
年末年始の休みよりも長い連休、もう二度とないことを願う。
と言いつつも考えてみれば、定年退職で仕事から離れた人は「毎日が日曜日」だから、毎年365連休を経験している訳で、10連休くらいでへこたれるなんて、まだまだ青い。
そもそも今回の私の10連休も、当初は崇高な計画があった。
日頃中々出来なかった業務知識習得のための専門書読破と研修ビデオを視聴する時間に充てようと考えていたのだ。
しかし、現実はそんなに甘くなかった。正に子供時代の夏休みの如く、急に怠惰な自分が復活し、まるでテンションが上がらず、日々だらだらと宿題も後回し、後回しの状態に。これではいかんと思いつつ、気持ちばかりが焦る負のスパイラルにハマってしまった。
毎日机に座って悶々としているより、いっそのこと遠出しようかとも思ったが、道路渋滞を考えると腰が引けてしまう。
結局遠出もできず、日がな一日ビデオ視聴。ビデオはビデオでもAmazonのプライムビデオで映画視聴になってしまった。
そして自分の意志の薄弱さを嘆きつつ、ようやく連休明けを迎える今日この頃という次第。
そういえばメンタルヘルスの研修で頻繁に使われる「サザエさん症候群」のことが、6日の日経新聞にも出ていた。
日曜日の夕方の恒例番組のサザエさんだが、この番組の終わりにテーマ曲が流れてくると「あ〜あ、明日から仕事か(又は学校か)」となぜか憂鬱になってくる症状のことだ。
確かに子供の頃もこの心境は何度も経験していたが、今回の私はサザエさん症候群とは少し違う。
「早く休みが終わって仕事が始まらないかなあ」なんて、寂しい限りです。
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年末年始の休みよりも長い連休、もう二度とないことを願う。
と言いつつも考えてみれば、定年退職で仕事から離れた人は「毎日が日曜日」だから、毎年365連休を経験している訳で、10連休くらいでへこたれるなんて、まだまだ青い。
そもそも今回の私の10連休も、当初は崇高な計画があった。
日頃中々出来なかった業務知識習得のための専門書読破と研修ビデオを視聴する時間に充てようと考えていたのだ。
しかし、現実はそんなに甘くなかった。正に子供時代の夏休みの如く、急に怠惰な自分が復活し、まるでテンションが上がらず、日々だらだらと宿題も後回し、後回しの状態に。これではいかんと思いつつ、気持ちばかりが焦る負のスパイラルにハマってしまった。
毎日机に座って悶々としているより、いっそのこと遠出しようかとも思ったが、道路渋滞を考えると腰が引けてしまう。
結局遠出もできず、日がな一日ビデオ視聴。ビデオはビデオでもAmazonのプライムビデオで映画視聴になってしまった。
そして自分の意志の薄弱さを嘆きつつ、ようやく連休明けを迎える今日この頃という次第。
そういえばメンタルヘルスの研修で頻繁に使われる「サザエさん症候群」のことが、6日の日経新聞にも出ていた。
日曜日の夕方の恒例番組のサザエさんだが、この番組の終わりにテーマ曲が流れてくると「あ〜あ、明日から仕事か(又は学校か)」となぜか憂鬱になってくる症状のことだ。
確かに子供の頃もこの心境は何度も経験していたが、今回の私はサザエさん症候群とは少し違う。
「早く休みが終わって仕事が始まらないかなあ」なんて、寂しい限りです。
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2019年05月04日
ゆく年くる年
平成31年4月30日、まるで新年を迎える大晦日のようだ。
天皇の退位による改元。
連日マスコミは天皇、皇后両陛下に係る報道一色。
いよいよ祝賀ムードも最高潮に達する。
へそ曲がりと言われそうだが、なぜ「お祝い」なのか、もう一つ理解できない。
日本国の君主を新たに世襲するための一連の行事は、飾り立て過ぎだし、政治色も所々散見され、違和感を覚える。
だが、ともあれ平成が去り、令和が始まる。
正に「ゆく年くる年」だ。
そもそも平成はどんな時代だったのか。テレビで盛んに取り上げられているが、阪神淡路大震災や東日本大震災、それに熊本地震等々、地震や洪水による自然災害が多発した時代の印象が強い。
また、平成を西暦で数えれば1989年1月から2019年4月の間、そして1989年は日本経済の絶頂期且つ、バブル崩壊前夜。
2年後の1991年3月(平成3年)からバブル崩壊が始まり、今や「失われた20年」とか「失われた30年」と呼ばれる日本経済の衰退期が続き、併せて日本の国力も低下。
「就業構造基本調査では、1997年から2012年の間に、年収200万円未満の労働者は1383万人(全労働者の25.7%)から1822万人(32.9%)に増え(森岡孝二氏著「雇用身分社会」)」
「厚労省『毎月勤労統計調査』の労働者の平均賃金(年収)は、1997年から2013年の間に、371万円から314万円になり、58万円も低下」
「家計貯蓄率は1997年度8%が2012年度0.8%に(同著)」。
要するに平成の御代30年余りは、日本社会が衰退を始めた時代とも言える。
その意味で、心機一転の改元は、タイムリーなお祝いだ。
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連日マスコミは天皇、皇后両陛下に係る報道一色。
いよいよ祝賀ムードも最高潮に達する。
へそ曲がりと言われそうだが、なぜ「お祝い」なのか、もう一つ理解できない。
日本国の君主を新たに世襲するための一連の行事は、飾り立て過ぎだし、政治色も所々散見され、違和感を覚える。
だが、ともあれ平成が去り、令和が始まる。
正に「ゆく年くる年」だ。
そもそも平成はどんな時代だったのか。テレビで盛んに取り上げられているが、阪神淡路大震災や東日本大震災、それに熊本地震等々、地震や洪水による自然災害が多発した時代の印象が強い。
また、平成を西暦で数えれば1989年1月から2019年4月の間、そして1989年は日本経済の絶頂期且つ、バブル崩壊前夜。
2年後の1991年3月(平成3年)からバブル崩壊が始まり、今や「失われた20年」とか「失われた30年」と呼ばれる日本経済の衰退期が続き、併せて日本の国力も低下。
「就業構造基本調査では、1997年から2012年の間に、年収200万円未満の労働者は1383万人(全労働者の25.7%)から1822万人(32.9%)に増え(森岡孝二氏著「雇用身分社会」)」
「厚労省『毎月勤労統計調査』の労働者の平均賃金(年収)は、1997年から2013年の間に、371万円から314万円になり、58万円も低下」
「家計貯蓄率は1997年度8%が2012年度0.8%に(同著)」。
要するに平成の御代30年余りは、日本社会が衰退を始めた時代とも言える。
その意味で、心機一転の改元は、タイムリーなお祝いだ。
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